土木県令 三島通庸とは?

三島通庸は鹿児島県に生まれ、戊辰戦争で活躍、戦後は藩政改革に参加しそこでの功績が大久保利通に認められ東京府参事として新政府に出仕する。 

 

その後酒田県令・合併による初代山形県令・福島県令・栃木県令を経て中央官庁に入り内務省土木局長、警視総監を歴任、在任中54歳で亡くなる。 

 

県令時代の功績は、道路・橋梁整備と公共施設の建築であった。山形では城内から離れた河原に西洋風の官庁街を建設し、各地で新時代の象徴として西洋風の庁舎や校舎を建て、計画的な都市開発に熱心だった。しかし、その費用負担も膨大でかなり粗っぽく庶民を徴用し、金持ちからは強引に寄付を募ったので反発も大きく、反対勢力を徹底的に弾圧したので鬼県令とも呼ばれた。 

 栃木県においては、たった一年の県令在任中に当時栃木町にあった県庁を県央にある宇都宮町に移転した。宇都宮に新築した建物は千数百坪といわれ、一部三階建ての八角形の堂々たる白亜の殿堂である。

筆者丸山光太郎は、その庁舎が48日で完成したと伝えられていることに疑問を持ち、調べるうちに三島通庸という男に取りつかれたという。

 

 

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